korukoru

考えたこと,学んだこと,研究メモ etc. を不定期に綴ります。

学部生・院生の視点でも「英語で読めなきゃ話にならない」は目的別で?

亘理陽一先生のブログ記事を拝読して,ツイッターでまとめるのは分量的に難しそうだったのでブログを使ってみることに。

亘理陽一. (2014, February 6). 英語で読めなきゃ話にならないと言う,その前に。 [Blog post].

まず,コメントをしたい亘理先生の記事は「英語で読めなきゃ話にならないと言う,その前に。」を参照のこと。

僭越ながら極々簡単に要約させて頂くと,前提は以下の通りだと思う。
英語教育学の分野に携わる人間でも,

  • 対象読者
  • 執筆者 and/or 読者の目的
によって,英語の原典ではなく訳書を用いて良いのではないか。
但し,研究者ともなれば,最新の動向を追うために英語の原典を当たる必要性が著しく増すであろう。

私の要約が合っているとして,この前提はご尤もだと思うので大賛成。
そして,この前提の上で,以下の様な疑問を投げかけて記事を綴られている。

しかし,学部生・院生から見るとどうだろう?(学習・指導の過程における「翻訳」の効果といった話ではないので,あしからず)
上記の前提は基本的に「研究者」の場合だと思うので,この「学部生・院生」にとってはという疑問もご尤もだと思う。
また,自分としても(a) 卒業研究・修士研究のサポートをする立場・(b) 自分自身も大学院生である立場上,この疑問点は自分に直結する。

■ 「英語で読めなきゃ話にならないと言う,その前に。」には賛成

という訳であれこれ考えた結果,ツイッターではまとめられそうになかったので,以下で思ったことをまとめてみたい次第。
ともあれ,まず書いておきたいのは,亘理先生が書かれていることに賛成であるということ。

例えば,専門分野の文献に関しても

仮に当該分野の研究者たちは原著をずんずん読んで行けるとしても,学部生・院生,あるいは周辺領域の入口的文献として,専門書を日本語に訳して出版しておく意義は大いにあると言いたい……(中略)……翻訳でもいいから原典に触れたい,触れてもらいたいということもある。裾野は広いほうが良いではありませんか。
最新のところばかりをフォローする前に,Gass and Selinker (2008)ぐらいの水準で,諸概念や過去の重要な知見をマップの上で整理し,理解しておくことが大事だと思う。
も,極めて重要かつ適切なご意見だと感じられる。
その上で,締めの
翻訳を礼讃したいわけではない。「たくさん読めばいいというものではなく,自分の頭で考えることが重要だ」と言う向きもあろう。しかし,考えるためには材料や手段が必要なわけで,ただただ考えろマッチョは無責任(ブルース・リーも怒るだろう)。他方で,ひたすら「英語で読めなきゃ話にならない」という英語マッチョand/or原著マッチョも重苦しい。
も,各々の立場を考慮(配慮?)した,大切な箇所であろう。

■ 目的に応じた4種類のレイヤーとリソース

私が書きたいことは,詰まるところ,「 学部生・院生の視点でも「英語で読めなきゃ話にならない」は目的別なのではないか?」ということである。
目的別という点に関して,ひとまず考えたいレイヤーは以下の4段階*1

1. 自分の専門分野外(趣味・娯楽)
2. 自分の専門分野外(勉強・研究)
3. 自分の研究テーマ外
4. 自分の研究テーマ内

下に行く(=数が増す)ほど,自身の研究テーマに近くなるとする。
例えば,現在の自分のことにザックリ置き換えると,このような塩梅である。

1. 自分の専門分野外(趣味・娯楽)=映画や小説
2. 自分の専門分野外(勉強・研究)=新聞,3・4以外の専門分野
3. 自分の研究テーマ外=統計手法,自然言語処理,研究手法
4. 自分の研究テーマ内=語彙習得,語彙知識の測定・評価,ライティング

語弊を恐れず言うと,大きな目標としては,3から英語で読むくらいで良いのではと思う。

特に学部生であれば,3, 4年時にゼミに所属して研究手法やリサーチ・デザインなどなども並行して初めて学んでいく(=負荷が大きい)はずなので,4を英語で読むを目標に据えて諸々を一歩一歩こなしていき,最終的に卒論に臨めると良いのかなと。
院生ともなれば3は英語で読めるようにしておくべきで,1や2も英語で読めるに越したことはないだろうけれど,少なくとも1はプライベートの範疇なので好きな言語で読んで良いのでは。

また,目的*2,費やせるリソース,時間・余裕の有無等によっては,学部生・院生を問わず3や4を日本語で読んでも良いように思う。
むしろ,必要性に応じて,積極的に/敢えて日本語を選択する判断力というのも,英語で読めるスキルと同等に重要に感じる。時間も各種リソースも有限なので。Time is money.

■ まとめ

という訳で,亘理先生のご意見に賛同した上で,個人的に思ったことをまとめると,

  • 学部生・院生の視点でも,「英語で読めなきゃ話にならない」は目的別で良いのでは?
  • 一例として上記4段階のレイヤーで考えると,3 and/or 4を英語で読めるような目標設定が適切なのでは?
  • 目的,費やせるリソース,時間・余裕の有無によって,英語 or 日本語の判断を下すスキルも重要なのでは?
くらいだろうか。

ちなみに,

  • 3・4いずれにしても,英語で*3「適切に」読めるようになる/指導するのは難しいように感じている
  • どういったケースで日本語を効果的に選択すべきかは,指導する/指導を受ける機会があるかどうかも疑問
なので,学部生・院生の立場では,この2点がより(?)重要な課題になるかもしれない。

以上,本日考えたことはこの辺りで。どうもお疲れ様でした。

*1:厳密に考えれば,更に細分化でき,5段階以上になるなどするかもしれないが。

*2:例えば,初めて新しい(狭義の)専門分野に触れる時・先行研究を概観したい時など?

*3:正確には、日本語でさえも。